私とフィギュアスケートの関係(*^-^*)
「元フィギュアスケーターのオフアイストレーナー」
「オフアイストレーナー」って何?
「陸上トレーニング」をサポートする人
「フィギュアスケートやりたい」
それから、週末土日はコーチについて、姉妹でフィギュアスケートしてました。
実は今考えるとスケート一家でした。
毎週土日は練習・合宿だったので小中学生の時は土日はお友達と
遊んだ記憶がないです。ちょっと寂しいかも。
レッスンは毎回1時間、本当のスパルタの厳しい練習でずっと辞めたいと
思ってました。妹は毎回泣いていました。
私が所属していたのは、今はもうないのですが姫路にリンクが
あり、姫路のクラブに所属していました。
結構歴史のあるリンクで閉鎖になった時は、とてもショックでした。
当時は、フィギア人口も少なかったので10人くらいの小さなクラブ
でお姉さん達と和気あいあいとしてました。
オフアイストレーニングもリンク近くの「手柄山公園」で朝6時くらいから
して、その後、リンクへ。リンクにあったストーブとハンバーガーの
自動販売機がとても懐かしいです・・・。
そんな厳しい練習に耐えていたわけですが、嬉しくて楽しいのはやはり、
「プログラムが完成して曲に合わせて演技すること」
これが一番です。これは、バレエ、チア、フラなどその他ダンスなどの選手も同じだと
思います。それまでに、みなさん凄い時間をかけて練習を重ねているのでその努力は
本当に誇らしく私は思っています。そんな中で
「全兵庫フィギアスケート選手権大会で銅メダル」
取れた時は、フィギアスケート嫌いだったけど本当に嬉しかったです。それから
「自信がつきました。」
でも相変わらずレッスンは厳しかったです^-^
中学生になると勉強も忙しくなり、辞めてしまいましたが、今思うと
「続けてれば良かったな」
と思うこともあります。大学生の時は、部活にも入ろうといろいろ検討
しましたが、自宅から大学が遠かったので諦めてしまいました。
それから、趣味でちょくちょく滑りには行ってました。
それから月日が経ち、いつのまにか
「フィギュアスケートが盛り上がってる・・・」
私の中では「???」だったので正直、全く興味がなかったのですが、再び興味を
持ち始めたのは、
「体の使い方を勉強し始めた」
ことがきっかけで、
「この体の使い方でフィギュアスケートすればパフォーマンス上がるのでは?」
と思い、
「自分の体で試してみたい、フィギュアスケート再開しよう♪」
とまた、フットワークの軽い私が出てきました^-^
で、今は、趣味ですが、
西宮のリンクで「澤田亜紀」コーチに教えてもらっています♡
今は、だんだん体の感覚を取り戻したり、ジャンプやターンを復習したりしています。
ジャンプの名前なんかすっかり忘れていて^-^:
でも、怖いですね。体って昔の感覚を思い出すんです。
思い出すと早くて、感覚をあけないように練習に行く努力はしているのですが
今は、なかなかレッスン・練習に行けないのがストレス・・・。
家から遠いし、リンクが6時に閉まる!!
これは、貸切するしかないかなと1人で思ったりしています。
今は、私はオフアイストレーナーをしていますが、
私は、氷上では技を教えることができるレベルではないので、
フィギアスケーターに何かできることはないかと思ったときに
「よし、オフアイストレーナーだ」
と思ったのがきっかけでした。私は、ほかのトレーナーと違って、
「ピラティスインストラクターであり氷上での感覚を知っている」
という強みがあるので、これを活かしてフィギアスケーター達の
体の使い方のサポートができればなと思っています。
もちろん、氷上での技はコーチに聞いてもらうのが前提です
「このトレーニング入れたらいいかな?」と考える日々えす。
これから、たくさんのフィギアスケーターと会うのを楽しみにしています。
私が、オフアイストレーナーをしている理由は、こんな歴史からきています♪
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